単層膜コーティング
2013年 09月 14日
現代のレンズは みんなマルチコーティングされていますが
むかしのレンズは 単層膜コーティングでした。
単層膜コートというのは 1枚のレンズエレメントの片側に1種類の膜を蒸着したものです。
多層膜コートというのは 1枚のレンズエレメントの片側に2種類以上の膜を蒸着したものです。
多層膜コーティングを世界で始めて行なったのは千代田光学(後のミノルタ)で
アクロマチックコーティングと名付けました。
珍しかった緑色系のコーティングを前玉表面に施して 「緑のロッコール」と呼ばれましたね。
わたしの初めての一眼レフのミノルタSR-1には この緑のロッコールが付いていました ♪♪♪
またマルチコーティングを施したレンズを世界で始めて発売したのは ペンタックスの旭光学でした。
スーパー・マルチコーテッド・タクマーレンズが それでした。
外は暑いし、今日はむかしの単層膜コーティングのレンズを撮ってみました。
1
Meritar 50mmF2.9
エルンスト ルートビッヒ(Erunst Ludwig)の メリター50mmF2.9です
このレンズは 1956年製のエキザクタの妹のエクサに付いておりましたので
もう60歳近いですね
薄い青色と やはり薄い紫色の単層膜コーティングが美しい3群3枚構成の小さなレンズです
コーティングのマークとして 赤のVが記されています
作例は 「メリター 50mmF2.9」を参照願います
2
インダスター 50-2 50mmF3.5
もともとロシアンライカのゾルキー用に 1966-80年頃に造られたパンケーキレンズです
途中から一眼レフのゼニット用も造られ わたしのはそのゼニット用のもので1977年製です
薄い青と白色と 最後玉に赤色の単層膜が施された テッサー型3群4枚の薄型レンズです
その写りは 「インダスター50-2 50mmF3.5で 豊中散歩」を参照ください
3
Soligor Miranda 50mmF2.8
1959年製のミランダSに付いていたレンズです
ソリゴールミランダ銘で 数社がミランダ用レンズを造っていましたが このレンズは藤田光学製です
レンズ銘を書いた枠が セピア色ちゅうかブロンズ色をしております
薄い青と青紫の単層膜コーティングが美しい 3群4枚構成のレンズです
4
Soligor Miranda Kシリーズ 50mmF1.9
おなじミランダ用レンズですが 興和製の4群6枚のガウス対象型レンズです
このレンズは 1963年製オートメックスII型に付いておりましたが 滅茶苦茶シャープでした
写りは 「ミランダ オートメックスIIと 興和製50mmF1.9」を 参照願います
藤田製の50mmF2.8と似ておりますが 薄いピンク色の単層膜コーティングが追加されています
レンズ表面のホコリが多いですねぇ
5
Auto Miranda 50mmF1.8
これは 1966年製の ミランダ センソレックスに付いておりました
センソレックスの時代には ミランダ自家製レンズが付くようになっていました
写りはまあまあですが 興和製50mmF1.9よりはだいぶ劣ります
コーティングも変わり、青、青紫、赤紫、黄色の単層膜コーティングとなっています
6
Tessar 50mmF3.5 for Exakta
このテッサーF3.5は Carl Zeiss Jenaで 1948年から1961年まで造られました
昔のアルミ削り出し鏡胴の精巧さは 今日では比べるものがありません
わたしが手に入れたのは もう30年弱まえで レンズ1枚目裏側に曇りが出始めています
薄い青と青紫のコーティングは この時代のレンズほとんど全部共通のように思います
単層膜コーティングは1930年代終わりごろに カールツァイス、米国コダックで開発されました
なおコーティングのマークは 赤の王印です
7
Tessar 50mmF2.8
おなじテッサーで明るさがF2.8になったもので ツァイスイコンのコンタックスD(ペンタコン)に付いていました
コンタックスDは、世界初のペンタプリズム使用のコンタックスSのフラッシュ接点を改良したものです
このテッサーも1952年から1976年まで カールツァイス・イエナで造られていました
レンズの描写は 「テッサーと お散歩」を参照願います
コーティングの印は 赤で◇マークが付いていますが
コーティング自体は 上のテッサー50mmF3.5と変わりはないようです
8
Petri 55mmF1.8 CC
1964年製の ペトリ フレックス-7の標準レンズでした
レンズの絞り値をカメラボディに連絡する機構は 結局このレンズだけに付いて
他の交換レンズは絞込み測光でしか使えなかったようです
コーティングは、青、薄紫、だいだい色の単層膜で CCのマークが記されています
このレンズ、アダプターが発売されそうにないので デジタルでは リバースの接写でしか使ったことがありませぬ
9
UV Topcor 53mmF2
1964年製東京光学のトプコンユニの標準レンズです
レンズ銘のUVというのは レンズのバルサム材の中に UVフィルターの役目をする薬品を混ぜ込んだからと言います
コーティングは、だいだい色系統と 薄青色が2面です
このUVトプコール53mmF2と UVトプコール35mmF3.5は素晴らしい写りをします
特に35mmF3.5は シャープで 単層膜コーティングなのにフレアーの「フ」の字も出ません
UVトプコール53mmと35mmの写りは 「UVトプコール→M42マウントアダプター」を参照願います
10
SUN Sola 90mmF4
サン光機の Sola 90mmF4です
いつ造られたか詳細は不明ですが 1956年頃のエキザクタに付いているのを多く見かけますので
大体そのころに造られたのでしょう
レンズ構成は 3群3枚のトリプレットです
コーティングは、このころの標準で 青、薄紫、薄黄色です
3枚構成で レンズエレメント毎にコーティングを変えています
コーティングのマークは なんとも言えない印ですね
わたしの サンSola90mmは 距離リングが 8フィートで固まってしまっており
2.4m先の被写体専用のレンズになってしまっています
11
Kilfitt Makro-Kilar D 40mmF2.8
リヒテンシュタイン公国の 1958年製キルフィット マクロキラー D 40mmF2.8です
レンズ単体で無限遠から 1/1.1まで寄れる 3群4枚構成のすごいヤツです
距離リングを無限遠から5mmほど回すと ピントは約2mに、1cmで約1mになり
最近接では 鏡胴は元の長さの約3倍になります
コーティングは同時代のツアィスと良く似ていて 青と青紫の単層膜です
レンズの作例は以下のとおりです
「E330 + マクロキラーD 40mmF2.8」
「マクロキラーD 40mmF2.8 久しぶり」
12
Spiratone 18mmF3.5
1972年に日本のシグマが米国スピラトーン社にOEMした 超広角レンズ18mmF3.5です
写りは、このブログでも2回紹介しておりますが 解像力は× 色合いは× 周辺光量は×
ただし 歪曲収差は◎というものです
スピラトーン18mmF3.5の写りは次を御笑覧願います
「スピラトーン 18mmF3.5の写り」
「スピラトーン 18mmF3.5 むかしの写り」
ところでコーティングは、十数ヶ所のコーティングの殆んどがオレンジ系統で 2ヵ所が青色の単層膜です
シグマさん、いくら広角レンズにはアンバー系コーティングが合うと言っても ・・・
この写真もヘタクソで申し訳ありません _| ̄|〇
13
Fujinon 55mmF2.2
1976年に富士写真工業がEBCフジノン(素晴らしいマルチコーテッドレンズです)のあとに出した
時代に逆行する単層膜コーティングの フジノン55mmF2.2です
なぜマルチコーティングしたレンズの後に 富士がこのM42の単層膜コーテッドレンズを出したかは不明ですが
新型カメラやマルチコーティングしたレンズが 高くて売れなかったからでしょうね
4群4枚のこの55mmF2.2レンズは ST605というM42マウントのカメラに付けて売り出されました
やはりコーティング技術は発達しており、青紫とオレンジ色の単層膜コーティングは非常にクッキリと見えます。
写りは結構ええです
「フジノン55mmF2.2をデジタルで」を参照ください
14
Helios 44M-4 58mmF2
1984年からロシアン一眼レフのゼニットに付けられていたM42マウントのレンズです
もとは カールツアィスのビオター58mmF2で それをコピー改良?した4群6枚構成のレンズです
1984年といえば 日本では全てのレンズがマルチコーティングされていた時代です
しかしソ連ではまだ単層膜コーティングでした
赤、白、オレンジ、青がクッキリ見える単層膜コーティングで その写りはなかなかのものです
「ヘリオス44M-4で 雨の池田を」を参照ください
15
Planar 50mmF2
時代順に単層膜コーティングを見てきて ちょっと忘れていました
カールツアィスが戦後東独と西独に別れて 西独のコーティングはどうなったのかです
西独オーバーコッフェンのカールツアィスは オプトンと呼ばれて
西独製テッサーは 東独製と区別するためオプトンテッサーと呼ばれておりました
写真はプラナー50mmF2で 1959年の西独ツアィスイコンのコンタレックスの標準レンズです
レンズ構成は4群6枚のガウス対象型です
このプラナーのコーティングは、赤、赤紫、オレンジ色を主体としたマゼンタ系とアンバー系の単層膜コートです
写りは、朝の空気まで写るというか 言葉では言い表わせにくい良い描写だと記憶しています
16
Pancolar 50mmF1.8
東独のカールツアィスの ガウス型の代表選手 パンカラー50mmF1.8です
このレンズはビオター58mmF2の後を継ぐ 「東独のプラナー」にあたる4群6枚の標準レンズで
1969年から1990年まで21年間も造り続けられました
そのコーティングは、ちょっと時代は異なりますが西独のプラナー50mmF2に良く似ており
赤、赤紫を主体としたマゼンタ系~アンバー系単層膜コーティングです
東と西に別れてケンカしていたカールツアィスですが、やはり技術は共有していて
同じ焦点距離のレンズには 同じようなコーティングを施していたようです
17
緑のロッコール
ねっ、緑色でしょ
これが多層膜コーティングを施した ミノルタのオート ロッコール-PF 55mmF1.8です
1958年 世界初の多層膜コートです
コーティングを見ると、緑色、薄白色のクッキリした2層膜コート?と
ぼんやりしたオレンジ色の単層膜コーティングが見えます
でも 13枚目のフジノン55mmや 14枚目のヘリオス58mmと比べると
多層膜コーティングって きれいな緑色以外は わたしにはあまり意味が判りませ~ん
【訂正】 2013年9月19日
世界初の多層膜コートのアクロマティックコーティングは2層膜でした
1958年のミノルタ初の35mm一眼レフ ミノルタSR2の標準レンズ オート ロッコール-PF 55mmF1.8 に施されました
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■ 2013年9月14日撮影
■ Micro 60mmF2.8D on Nikon D80
■ 絞り優先オート、絞り開放
■ ISO1250
■ 露出補正 すべてマイナス2/3EV
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相変わらずnakajimaさんのコレクションのすごさと蘊蓄の深さには脱帽です。
緑のロッコール、きれいですね。
六甲山から付いた名称だとか?
ミノルタのレンズ20本ほど持ってますが、残念ながらロッコールは1本もありません(笑)
歯医者のあとの豊中散歩から今戻りました。
えへへ、コレクションと言っても 長いあいだに集まった安物ばかりで~す。
はいっ、千代田光学(後のミノルタ)の創業者の田嶋一雄氏が
六甲山の麓の稔る田を見て ミノルタの社名とロッコールのレンズ名を付けたのです。
わたしのミノルタ銘のレンズはみんなロッコールですが
「緑のロッコール」は、標準のオートロッコールPF55mmF1.8が2本と
MCロッコールPF58mmF1.4の3本だけです。
アクロマチックコーティングは原価が高かったのか
数年のちの距離計機ハイマチック7sには ロッコールPF45mmF1.8というレンズが付いていますが
赤紫色とダイダイ色の単層膜コーティングに逆戻りしております。
日本のレンズで むかし名が残っているのは ニッコールとズイコー(瑞光)だけになってしまいましたねぇ (涙)
nakajimaさんの箪笥はドラエモンのポケットみたいにお宝が
いっぱい入っているんですね。
私のところにはこの1本もありませんです。
沢山の魅力的なお目目を楽しませていただきました。
いやぁ~、一度でも使ったことのあるレンズは お嫁に出せない体質ですので
いつの間にか 単層膜コーティングレンズも増えてしまいましたぁ。
お宝と呼べるようなレンズは1本もありませんが
ときどき出して 絞りリングと距離リングをグリグリしております。
肉眼では良くわからないですが マクロで撮るとホコリのたまっているのがよく判りますね。
ホコリはブロアーで吹き飛ばしてから 前玉を無水アルコールでそっと優しく拭いてやりました (^^)
今のレンズはコーティングが進歩しすぎて、何がなにやら分からないというか。
ガラスが「本家」やろ!とか思ってしまいますな。
いや、性能がよけりゃそれでいいんですけど勿論。
まあしかしガラスの矜持を失わないでほしいものですなあ何となく。
はいっ、1950~70年代の青目や黄色目コーティングを見るのは楽しいです。
一生懸命 手計算して、やっと出来たレンズの最終工程がコーティングだったんですねぇ。
むかしのファッションショーを見ているみたいです。
いまのレンズは どこのレンズも七色のマルチコーティングに輝いていて面白くありません。
性能も どこのズームレンズも皆一緒で~す。
日本製レンズに その矜持を失わないでほしいと願うならば
まずレンズに ロッコール(六甲)やタクマー(琢磨)などの固有の名前を復活させてほしいです。