マミヤ セコール 55mmF1.8 で 旭ヶ丘へ
2011年 04月 09日
世田谷光機のことを覚えておられるでしょうか?
マミヤ光機のカメラには いつも世田谷光機のセコールレンズが付いておりましたね。
世田谷光機は一時期はマミヤの子会社になりましたが、
マミヤが倒産したあとも社名を昭和オプトロニクスと変えて 現在も精密光学機器を生産しております。
世田谷光機がマミヤの子会社だった時代の マミヤ/セコール55mmF1.8を手に入れました。
どんな写りをするのでしょうか。
このレンズはM42マウントですので ペンタックスのK100Dに付けて使ってみました。
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AUTO mamiya / sekor f=55mm 1:1.8
オート マミヤ/セコール 55mmF1.8を ペンタックスのK100Dに付けたところです。
4群6枚構成のガウス対称型で フィルター口径は52mm、全金属製で236gと とても緻密に造られています。
コーティングはアンバー系の単層膜コーティングです。
K100Dに取り付けると 琢磨くんの55mmF1.8よりも似合っているようにも思えます。
■ Micro 60mm F2.8 + D700
【マミヤ光機のお勉強】
マミヤ光機は 発明家の間宮精一氏がつくった会社で、6X6判バックフォーカシングのマミヤシックス、
小型16フィルムを使うマミヤ16、レンズ交換できる二眼レフのC220~C330シリーズなどが評価されました。
一眼レフでも試作は非常に早く、1952年には ペンタプリズムを使用した プリズムフレックス・マミヤを発表しました。
【インターネットより】 Prismflex Mamiya 試作品1952年発表
1952年と言えば、旭光学が日本初の35mm判一眼レフのアサヒフレックスを発売した年でしたが
まだペンタプリズムではなく 使いにくいウエストレベル(胸高)ファインダーだったのです。
その後マミヤは、エキザクタ・マウントの「マミヤ プリズマット NP」などのあまりパッとしない一眼レフを造ります。
マミヤ プリズマット NP
【2017年1月購入】
わたしの オート マミヤ・セコール 55mmF1.8は、1968年7月に発売された「マミヤ・セコール1000DTL」の標準レンズでした。
【インターネットより】 mamiya/sekor 1000DTL 1968年7月発売
この写真では、55mmF1.4が付いていますが わたしのは55mmF1.8です。
レンズ外観の雰囲気はまったく同じです。
それでは写真に行ってみましょう。
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初写し
えへへ、初写しはコムギです
やはりMFでは 動くものを撮るのは むつかしいです。
■ 2011年4月6日11時8分
■ AUTO mamiya/sekor 55mmF1.8 + K100D
■ マニュアル露出、ISO200、絞り開放、1/400秒、露出補正なし
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はな
4月7日、夕方の5時まえからコムギを連れて 近所の旭ヶ丘団地へ散歩に行きました
赤い花ではなく 上のさくらにピントを合わせたつもりです
絞りは開放です
4
風がピュー
風がピューと吹いて コムギが眼をつぶりました
これも絞りは開放です
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急にワンコが
コムギを撮っていたら 急にワンコが来ました
ピンボケです
構図も悪いです
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遊歩道
動かないものを撮るとええ感じです
絞りF2.8
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歪曲収差なし
わたしの見る限り 歪曲収差はありません
さすが マミヤの標準レンズ セコールですね
絞りは たしかF4
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がきんちょサッカー団
がきんちょに おじさんがサッカーを指導しておりました
こういう写真、35mm判換算で83mmではちょっと短いですね
絞りF4
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お食事処
お食事処にピントを合わせたつもりです
電気が灯ると 暗くなってきた感じがしました
絞りF2.8
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黒いだろう
イカリスーパーの入り口で 黒いわんこがおとなしく待っています。
写真を撮ろうとすると ポーズを取って「黒いから写しにくいだろう」って言っています。
「大丈夫、世田谷光機のセコールやぞ~」
しかし 黒いわんこの黒目にピント、疲れましたぁ
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■ 2011年4月6日~7日撮影
■ AUTO mamiya/sekor 55mmF1.8 on Pentax K100D
■ マニュアル露出、絞り優先オート
■ ISOオート(200~800自動選択)
■ 露出補正 それなりに
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夕方の西日と焦点深度の浅さが、桜を適度に際立たせて
良い感じですね。
6枚目の遊歩道、気に入っていただいて ありがとうございます。
西日を受けて 天竺川沿いの遊歩道が見たとおりに写りました。
ISO200、絞りF2.8で1/1000秒 背景の家が優しくボケてくれました。
この写真は露出補正もなし、まさに自然に撮ったものでした (^^)
マミヤの35mm一眼レフは日本では殆ど売れず、その多くは米国に輸出されたようです。
わたしのマミヤセコールも米国からの帰国子女です。
1968年当時は、日本製の安価で優秀なカメラやレンズがどんどん輸出されて
ドイツ製のものを蹴散らしていたころでしたね。
わたしも マミヤセコールを使ったのはこれが初めてでしたが
きっちり造られていて何の問題もなく使える 優秀なレンズでした。
マミヤMSX500というのが確か置いてありました。
シャッター速度が最高で500分の一秒の普及機で、
標準レンズもF2が付いていたように思います。
販売されていた当時のことは知らないのですが、
なかなかスッキリしたデザインでちょっと好みでした♪
6枚目、9枚目に惹かれていただき ありがとうございます。
どちらもピントの合ったところは鋭く それ以外のところは優しくボケておりますね。
1968年当時にも このような優秀なレンズがいろいろあったんですね。
古レンズ遊びが楽しくなります (^^)
MSX500ですか。
マミヤのプラクティカ・マウント(M42)の最後のカメラと思われます。
マミヤはいろいろな35mm一眼レフを造りましたが
シャッター速度が1/1000秒まであるものと 1/500秒に抑えた普及機を
同時に発売していたようです。
「マミヤファンサイト」というマミヤ35mm一眼レフのサイトを紹介しておきます。
http://mamiya.tudura.com/camera/35ref.html
マミヤ35mm一眼レフは、ちょっと特異なデザインのように思うんですが
マミヤ6X7などの中判一眼レフとともに 強烈なファンがいたようですね ♪♪♪
えへへ、3、6、9枚目ともに どこへも行かない被写体ばかりです。
動かない被写体には 昔のレンズでもOKですね (^^)
でもコムギ色でも黒色でも 動くヤツにはMFレンズはダメですね。
最後の黒わんこの目の光る部分にピントを合わせていたら
わたしの目の方が疲れてしまって ・・・
世田谷光学のセコール、動かないもの専用みたいで~す。
4枚目の「風がピュー」、わんこも結構 眼をつぶるんですねぇ
コムギの口も おもしろいです (^^)
10枚目の黒忍者わんこ、かしこい犬でこの格好でずっと待っておりました。
撮るのは難しかったですけど。
お得意のおねえさん+αでより真価が発揮出来るかもです。(^^)
愚息が結婚して上野坂に引越ました。
家賃と駐車場代の高さに安月給でやっていけるのだろうかと、少々不安な親父です。(^^;)
えへへ、セコールは 女性を撮ると艶っぽいって聞いたことがあります。
C220やC330は、建築写真などに多く使われた一方
女性のポートレイトにも良く使われていましたが セコールの描写力ですね。
息子さんのご結婚おめでとうございます。
上野坂とは 良い環境のところですねぇ~。
世田谷光学のセコールの描写には ツァイスのプラナーも真っ青って聞いたことがあります。
しかしそれが「世光る」から来ているとは 今の今まで知りませんでした。
うれしい気持ちがしますです (^^)
セコールの35mm一眼レフ用レンズは 海外では中判用レンズとともに多くみられますが
日本国内では ほんとうに少ないですね。
わたしのも アメリカ帰りの帰国子女で~す ♪♪